■理解とは 詳説

「「理解」」とは、行動の可能性を広げるようなパタンの習得、と定義したのだった。


これは、別の面からみると、


起こりうる事態の可能性を限定または拡張すること


である。


■情報・知識とは?


さて、
「「情報」」とか「「知識」」と言われるものは、ある面から見ると、


起こりうる事態の可能性を限定または拡張するもの


である。ここでいう可能性とは、情報を得た人にとっての可能性である。


人間はみな、世界に対しての推測、
すなわち、
おおよそどのような事態が起こりうるもので、
どのような事態が起こりえないか、という推測
を持っている。


言い換えると、世界に対しての確信、
すなわち、
こういうときは絶対こうなり、こういうときはそうでないかもしれない、という確信
を持っている。


こうした世界に対する、推測・確信というのは、簡潔に言うならば、
起こりうる事態の可能性に見当をつけている
、ということである。
これがじつはその人のもつ情報・知識なのである。


あくまで便宜的に分けるならば、
起こりうる事態の可能性の見当とは次のようなことだ。
1、絶対にこうなる、ということの知識  「こうなる型知識」
2、こういう可能性もある、ということの知識 「こうかも型知識」
3、絶対にこうならない、ということの知識 「こうなる型知識」


■情報・知識を得る、とは?


そして、情報・知識を得るということは、
その人が、起こりうる事態の可能性に関して、新しく見当しなおした
、ということである。


これには可能性の限定である場合と拡大である場合とがある。
可能性の限定とは、上で言う1や3のタイプの知識を得ること。
可能性の拡大とは、上で言う2のタイプの知識を得ること。


あるいは、こう考えてもいい。
情報・知識を得るということは、事態に関する確信度・主観的確率を更新すること。
こう考える場合、「こうなる型」と「こうかも型」の間の、たとえば「どっちかと
いうとこうかも」とか「万が一を除きこうかも」とかも存在
すると考えて定義している。



■理解とは?


さて、最初に確認した定義:
「「理解」」とは、行動の可能性を広げるようなパタンの習得
を検討する。


まず
、「こうなる型」知識を得ると、それまで持てなかったある種の確信が
持てるようになる。

たとえば、この薬を飲めば必ず病気が治る、といった知識を得て、確信をもつ。
そうしたとき、
これまで何をしていいか分からず方向性が定まらなかったり控えめ
だったりした行動だったのが、はっきりと指針のある行動に変化する。
このことで望みの結果を得られる可能性が増大する。
これをもって行動の可能性が広がった、とみなすのである


つぎに
「こうかも型」の知識。これは行動の選択肢を広げる。
それは知識を得た者にとって有効な選択肢とは限らないが、
新しい選択肢を手にすることで行動の可能性が広がる。
まあしかし、あまりに頼りない情報は迷いを発生させるだけだから微妙なところである。



※こうして得た知識が正しいとは限らない。
上で見たように、理解=主観的確率の更新 というのは、まさに「主観的」なものであり、
実際の確率に一致している必要はない。